商人のまち 豪商のまち松阪豪商の紹介

多くの豪商を輩出した商人のまち松阪であなたも起業しませんか?

松阪の礎を築いた蒲生氏郷は城下町の経済発展を図るため、「町中掟」を定め、楽市楽座を推進し、日野や伊勢大湊から有力な商人を誘致しました。これにより、松阪にはたくさんの人々が集まりおおいに栄えました。江戸時代になると、紀州藩の飛び地ということもあり、比較的武士が少なく、商人の多い町でした。江戸だけでなく、大坂や京都にも店を持つ商人が多く、三都市の文化や政治、経済の最新情報がいち早くもたらされました。

商家の主人は、江戸との行き来も多く、趣味や教養を高めるため、一流の文化人と交流しました。時には、彼らを伊勢神宮参拝に招待し、松阪の本宅に逗留させ、歌会や句会、茶会などを開いたそうです。そのため、江戸や上方の文化ともひと味違った商人文化が芽生え、三井家、長谷川家、小津家など多くの商人を輩出し、松阪は豪商のまちとして広く知られるようになります。

このように、昔から商業の盛んな松阪には、新しく起業することへの厳しさと優しさの両面を補う土壌があり、商売を始めるのにやりがいのあるまちと言えます。

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